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― 武内検校(本名・武内城継)が建てた「燕屋敷」の物語 ―

​第一章

港町 尾道の繁栄

今から100年以上前、明治45年(1912年)。

尾道は、瀬戸内海を代表する港町として大きな賑わいを見せていました。

江戸時代、西廻り航路の発展とともに北前船が寄港するようになると、

尾道には全国から人・物・文化が集まり、商業都市として繁栄します。

薬師堂浜・荒神堂浜・土堂浜の埋め立てによって町は広がり、

さらに尾道町奉行 平山角左衛門 が住吉浜を築いたことで、尾道港は瀬戸内有数の港へと発展しました。

港へと続く中浜通りには、人力車や馬車、荷車が絶え間なく行き交い、

商人や町人、旅人たちの活気に満ちあふれていました。

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第二章

盲目の音楽家 武内検校

そんな時代、この建物を建てたのが、尾道出身の盲目の音楽家 **武内検校(本名・武内城継)**です。

武内検校は幼くして視力を失いながらも箏曲の道を究め、

明治・大正を代表する地歌箏曲家として全国にその名を知られました。

師は、神辺出身の名匠 葛原勾当。

葛原勾当は、生涯にわたり木活字で記した**『葛原勾当日記』を残しました。

この木活字は、日本の盲人文化を代表する功績として知られ、

後に来日したヘレン・ケラー**もその価値を高く評価したと伝えられています。

武内検校は、その教えを受け継ぎ、多くの門弟を育てながら、日本の箏曲文化を後世へ伝えました。

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第三章

音とともに生きる家「燕屋敷」

幼くして視力を失った武内検校にとって、尾道は「音」で感じる町でした。

港へ出入りする船の汽笛。

浄土寺から響く鐘の音。

潮風に乗って聞こえる人々の声。

そして、中浜通りを行き交う商人や旅人たちの賑わい。

その音の風景の中に、武内検校が奏でる美しい琴の音が町へと響いていたと伝えられています。

武内検校は、

「音とともに生きる家をつくりたい。」

そんな願いを胸に、この屋敷を建てたと伝えられています。

やがて人々は、この屋敷を

「燕屋敷(つばめやしき)」

と呼ぶようになりました。

「燕のように春には帰り、秋には旅立つ人の羽を休める場所でありたい。」

そんな願いが、この家には込められていたと伝えられています。

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第四章

百年を超えて、尾道つばめ堂へ

令和の大改修を経て、この建物は往時の趣を大切に残しながら、新たな命を吹き込まれました。

棟札には、

「明治四十五年七月建築 富主 武内城継」

と記され、今もこの建物が武内検校ゆかりの建物であることを静かに伝えています。

古い梁や格子戸は100年以上の歳月を刻み、ここを訪れる人々を温かく迎え続けています。

そして2025年12月。

かつて「燕屋敷」と呼ばれたこの場所は、一日一組限定の宿

尾道つばめ堂として、新たな歴史を歩み始めました。

北前船が運んだ文化。

港町尾道の歴史。

武内検校が奏でた琴の音。

葛原勾当から受け継がれた音楽の心。

そして、この家に込められた「旅人を迎える」という願い。

100年以上の時を超え、尾道つばめ堂は今日も世界中から訪れる旅人の羽を休める場所として、

新しい物語を紡いでいます。

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旅人の皆さまへ

どうぞ、この建物に流れる歴史と物語を感じながら、ゆっくりとしたひとときをお過ごしください。

明治の梁

・1912年(明治45年)建物を建築
・1925年(大正14年)「つばめ堂」
    菓子店創業
・その後、菓子卸卸業・イベント業へと発展
​・令和の今、宿泊施設「尾道つばめ堂」
   として再生

明治の梁
棟札に残る「武内城継」の名。武内検校の本名です。
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